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 「やゝもせばきえをあらそふ露の世におくれさきだつ程へずもがな」とて御淚をはらひあへ給はず。宮、

 「秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉のうへとのみ見む」と聞えかはし給ふ。御かたちどもあらまほしく見るかひあるにつけてもかくて千年をすぐすわざもがなとおぼさるれど、心にかなはぬことなればかけとめむ方なきぞ悲しかりける。「今は渡らせ給ひね。みだり心ちいと苦しくなり侍りぬ。いふかひなくなりにける程といひながらいとなめげに侍りや」とて御几帳ひきよせて臥し給へるさまの常よりもいとたのもしげなく見え給へば、いかにおぼさるゝにかとて宮は御手をとらへ奉りてなくなく見奉り給ふに誠に消えゆく露の心ちして限に見え給へば、御誦經の使ども數も知らずたち騷ぎたり。さきざきも斯ていき出で給ふ折にならひ給ひて御ものゝけと疑ひ給ひて夜一夜さまざまのことを盡させ給へどかひもなく、明けはつる程に消えはて給ひぬ。宮も歸り給はでかくて見奉り給へるをかぎりなくおぼす。誰もたれもことわりの別れにてたぐひあることゝもおぼされず、珍らかにいみじく明けぐれの夢にまどひ給ふほどさらなりや、さかしき人おはせざりけり。さぶらふ女房などもあるかぎり更に物覺えたるなし。院はましておぼししづめむ方なければ、大將の君近く參り給へるを御几帳のもとに呼び寄せ奉り給ひて「かく今はかぎりのさまなめるを、年比のほ意ありて思へる事かゝるきざみにその思ひたがへて止みなむがいといとほしきを、御加持にさぶらふ大とこ達讀經の僧などの皆聲やめて出でぬなめるをさりとも立ちとまりても