Page:Kokubun taikan 02.pdf/237

提供:Wikisource
このページは校正済みです

もかたじけなし。參らむことはたわりなくなりにて侍れば」とてしばしはこなたにおはすれば、明石の御方も渡り給ひて心深げにしづまりたる御物語ども聞えかはし給ふ。上は御心のうちにおぼしめぐらす事多かれどさかしげになからむ後などのたまひ出づることもなし。唯なべての世の常なき有樣をおほどかにことずくなゝるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、ことに出でたらむよりも哀に物心ぼそき御氣色はしるう見えける。宮達を見奉り給うても「おのおのゝ御行く末をゆかしく思ひ聞えけるこそかくはかなかりける身を惜む心のまじりけるにや」とて淚ぐみ給へる御顏の匂ひいみじうをかしげなり。などかうのみおぼしたらむとおぼすに中宮うち泣き給ひぬ。ゆゝしげになどは聞えなし給はず、物のついでなどにぞ「年比仕うまつりなれたる人々のことなるよるべなういとをしげなるはこの人かの人侍らずなりなむ後に御心とゞめて尋ねおもほせ」などばかり聞え給ひける。御讀經などによりてぞ例のわが御方に渡り給ふ。三宮はあまたの御中にいとをかしげにてありき給ふを、御心ちのひまには前にすゑ奉り給ひて人の聞かぬまに「まろが侍らざらむにおぼし出でなむや」と聞え給へば「いと戀しかりなむ。まろはうちの上よりも宮よりも母をこそまさりて思ひ聞ゆれ。おはせずば心ちむつかしかりなむ」とて目をすり紛はし給へるさまをかしければほゝゑみながら淚はおちぬ。「おとなになり給ひなばこゝに住み給ひてこの對の前なる紅梅と櫻とは花の折々に心留めてもてあそび給へ。さるべからむをりは佛にも奉り給へ」と聞え給へば、うちうなづきて御顏をまもりて淚の落つべかめれば立ちて