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まるべき世にはあらざなれど、まづ我ひとり行くへしらずなりなむをおぼしつゞくるいみじう哀なり。ことはてゝおのがじゝ歸り給ひなむとするも遠きわかれめきてをしまる。花散里の御かたに、

 「絕えぬべき御法ながらぞたのまるゝ世々にと結ぶ中のちぎりを」。御かへり、

 「結びおくちぎりは絕えじ大かたののこりすくなきみのりなりとも」。やがてこのついでに不斷の讀經懺法などたゆみなく尊き事どもをせさせ給ふ。御ず法はことなるしるしも見えで程經ぬれば、例の事になりてうちはへさるべき所々寺々にてぞせさせ給ひける。夏になりては例の暑さにさへいとゞ消え入り給ひぬべき折々多かり。その事とおどろおどろしからぬ御心ちなれど、唯いとよわきさまになり給へれば、むつかしげに所せく惱み給ふ事もなし。さぶらふ人々もいかにおはしまさむとするにかと思ひよるにもまづかきくらしあたらしう悲しき御有樣と見奉る。かくのみおはすれば中宮この院にまかでさせ給ふ。ひんがしの對におはしますべければこなたにはた待ち聞え給ふ。儀式など例に變らねどこの世の有樣を見はてずなりぬるなどのみおぼせば、萬につけて物哀なり。名對面を聞き給ふにもその人かの人など耳とゞめて聞かれ給ふ。上達部などいと多く仕うまつり給へり。久しき御對面のとだえをめづらしくおぼして御物語こまやかに聞え給ふ。院入り給ひて「今夜はすばなれたる心ちして無德なりや。まかりやすみ侍らむ」とて渡り給ひぬ。起き居給へるを嬉しとおぼしたるもいとはかなき程の御なぐさめなり。「方々におはしましてはあなたに渡らせ給はむ