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御法

紫の上いたう煩ひ給ひし御こゝちの後、いとあつしくなり給ひてそこはかとなく惱み渡り給ふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月かさなればたのもしげなくいとゞあえかになりまさり給へるを、院のおもほし歎く事かぎりなし。しばしにても後れ聞え給はむことをばいみじかるべくおぼし、みづからの御心ちにはこの世に飽かぬことなくうしろめたきほだしだにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとゞめまほしき御命ともおぼされぬを、年比の御契かけはなれ思ひ歎かせ奉らむことのみぞ、人しれぬ御心のうちにも物哀におぼされける。後の世のためにと尊き事どもを多くせさせ給ひつゝ「いかで猶ほいあるさまになりてしばしもかゝづらはむ命の程はおこなひをまぎれなく」とたゆみなく覺しの給へど更にゆるし聞え給はず。さるは我が御心にもしかおぼしそめたるすぢなれば、かくねんごろに思ひ給へるついでに催されて、おなじ道にも入りなむとおぼせど、一度家を出で給ひなば假にもこの世を顧みむとはおぼしおきてず。後の世にはおなじ蓮の座を分けむと契りかはし聞え給ひてたのみをかけ給ふ御中なれど、こゝながらつとめ給はむ程は、おなじ山なりとも峰を隔てゝあひ見奉らぬすみかにかけはなれなむ事をのみおぼしまうけたるに、かくいとたのもしげなきさまに惱みあつい給へば、いと心苦しき御有樣を今はとゆき離