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るべし。ないげなどもゆるされぬべき年比のしるしあらはれ侍る心地なむし侍る」など氣色ばみおきて出で給ひぬ。いとゞしく心よからぬ御氣色あくがれまどひ給ふ程、大殿の君は日比ふるまゝにおぼし歎くことしげし。ないしのすけかゝる事を聞くに、われを世とともに許さぬものにの給ふなるにかくあなづりにくきことも出できにけるをと思ひて、文などは時々奉ればきこえたり。

 「數ならば身にしられまし世のうさを人のためにもぬらす袖かな」。なまけやけしとは見給へど物の哀なる程のつれづれにかれもいとたゞにはおぼえじとおぼすかた心ぞつきにける。

 「人の世のうきを哀と見しかども身にかへむとは思はざりしを」とのみあるを、おぼしけるまゝと哀に見る。この昔御中だえの程には、このないしのすけこそ人しれぬものに思ひとめ給へりしかど、ことあらためて後はいとたまさかにつれなくなりまさり給ひつゝ、さすがに君達は數多になりにけり。この御腹には、太郞君、三郞君、四郞君、六郞君、おほい君、中の君、四の君、五の君とおはす。內侍は、三の君、六の君、次郞君、五郞君とぞおはしける。すべて十二人が中にかたほなるなくいとをかしげにとりどりにおひ出で給ひける。內侍腹の君達しもなむかたちをかしう心ばせかどありて皆すぐれたりける。三の君、二郞君は、ひんがしのおとゞにぞとりわきてかしづき奉り給ふ。院も見なれたまひていとらうたくし給ふ。この御なからひのこといひやるかたなくとぞ。