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ひておはしける。「今更にわかわかしの御まじらひや、かゝる人をこゝかしこにおとしおき給ひてなど寢殿の御まじらひはふさはしからぬ御心のすぢとは年比見知りたれど、さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひ聞えて今はかくくだくだしき人のかずかず哀なるをかたみに見すつべきにやは」とたのみ聞えける。「はかなきひとふしにかうはもてなし給ふべくや」といみじうあばめ恨み申し給へば、「何事も今はとみあき給ひにける身なれば今はたなほるべきにもあらぬを、何かは」とて「あやしき人々は覺しすてずは嬉しうこそはあらめ」と聞え給へり。「なだらかの御いらへや。いひもていけば誰が名か惜しき」とてしひて渡り給へともなくてその夜は一人臥し給へり。あやしう中空なる比かなと思ひつゝ君達を前にふせ給ひて、かしこに又いかに覺し亂るらむさま思ひやり聞え、やすからぬ心づくしなればいかなる人かうやうなることをかしうおぼゆらむなど物ごりしぬべう覺え給ふ。明けぬれば「人の見聞かむも若々しきを限とのたまひはてばさて試みむ。かしこなる人々もらうたげに戀ひ聞ゆめりしをえり殘し給へるやうあらむとはみながらも思ひすてがたきを、ともかくももてなし侍りなむ」とおどし聞え給へば、すがすがしき御心にてこの君達をさへや知らぬ所に率て渡し給はむとあやふし。「姬君をいざ給へかし見奉りにかく參りくることもはしたなければ常にも參りこじ。かしこにも人々のらうたきをおなじ所にてだに見奉らむ」と聞え給ふ。まだいといはけなくをかしげにておはす。いと哀と見奉りたまひて「母君の御敎になかなひ給ひそ。いと心うく思ひとる方なき心あるはいと惡しきわざなり」と、いひしらせ奉