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給ひつゝ遙にのみもてなし給へり。さりとてかくのみやは、人の聞き漏さむこともことわりと、はしたなうこゝの人めもおぼえ給へば「うちうちの御心づかひはこののたまふさまにかなひてもしばしはなさけばまむ。世づかぬ有樣のいとうたてあり、又かゝりとてかきたえ參らずは人の御名いかゞはいとほしかるべき。ひとへに物をおぼしてをさなげなるこそいとほしけれ」などこの人をせめ給へば、げにとも思ひ、見奉るも今は心ぐるしう辱うおぼゆるさまなれば、人かよはし給ふ塗籠の北の口より入れ奉りてけり。いみじうあさましうつらしと、さぶらふ人をもげにかゝる世の人の心なればこれよりまさるめをも見せつべかりけりと、たのもしき人もなくなりはて給ひぬる御身を返す返す悲しうおぼす。男は萬におぼししるべきことわりを聞え知らせ、言の葉おほう哀にもをかしうも聞え盡し給へど、つらく心つきなしとのみおぼいたり。「いとかういはむ方なきものにおぼされける身の程はたぐひなうはづかしければ、あるまじき心のつきそめけむも心ちなく悔しうおぼえ侍れど、とり返すものならぬうちに何のたけき御名にかはあらむ。いふかひなくおぼしよはれ思ふにかなはぬ時身をなぐるためしも侍るなるを、唯かゝる心ざしをふかき淵になずらへ給ひて捨てつる身とおぼしなせ」と聞え給ふ。單衣の御ぞをひきくゝみてたけきことゝはねをなき給ふさまの心深くいとほしければ、いとうたて、いかなればいとかうおぼすらむ、いみじう思ふ人もかばかりになりぬれば、おのづからゆるぶ氣色もあるを、岩木よりけに靡き難きは契遠うてにくしなど思ふやうあなるを、さやおぼすらむと思ひよるに、あまりなれば心うくて三條の君