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身をとおぼしつゞけてまた臥し給ひぬ。「時たがひぬ。夜も更けぬべし」と皆さわぐ。時雨いと心あわたゞしう吹きまがひ、萬にものがなしければ、

 「のぼりにし峯の煙にたちまじり思はぬかたになびかずもがな」。心ひとつにはつよくおぼせどその比は御鋏などやうのものは皆とりかくして人々のまもり聞えければ、かくもてさわがざらむにだに、何のをしげある身にてかをこがましう若々しきやうにはひき忍ばむ、人きゝもうたておずましかべきわざをとおぼせば、そのほいのごともし給はず。人々は皆急ぎたちておのおの櫛手箱唐櫃萬の物をはかばかしからぬ袋やうのものなれど皆さきだてゝ運びたれば一人とまり給ふべうもあらで、泣く泣く御車に乘り給ふものから、かたはらのみまもられ給ひてこち渡り給ひし時御心地の苦しきにも御ぐしかきなでつくろひおろし奉り給ひしをおぼし出づるに、目もきりていみじ。御はかしにそへて經箱をそへたるが御かたはらもはなれねば、

 「戀しさのなぐさめがたきかたみにて淚にくもる玉のはこかな」。黑きもまだしあへさせ給はず。かの手ならし給へりし螺鈿の箱なりけり。誦經にせさせ給ひしをかたみにとゞめ給へるなりけり。浦島の子が心地なむ。おはしましつきたれば殿の內悲しげもなく人げ多くてあらぬさまなり。御車よせており給ふを更にふる里とおもほえず、疎ましううたておぼさるれば頓にもおり給はず。いと怪しう若々しき御さまかなと人々も見奉り煩ふ。殿はひんがしの對の南面を我が御方に假にしつらひてすみつきがほにおはす。三條殿には人々「俄にあさ