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ならひ給へる六條院の人々をともすればめでたきためしにひき出でつゝ心よからずあひだちなきものに思ひ給へるわりなしや、われも昔よりしかならひなましかば人めもなれてなかなかすぐしてまし、世のためしにしつべき御心ばへと親はらからよりはじめ奉りめやすきあえものにし給へるを、ありありてすゑにはぢがましきことやあらむなど、いといたう歎い給へり。夜も明けがた近くかたみにうち解け給ふことなくてそむきそむきに歎きあかして朝霧の晴間もまたず例の文をぞ急ぎ書きたまふ。いと心づきなしとおぼせどありしやうにもばひ給はず。いとこまやかにかきてうち置きて嘯きたまふ。忍び給へどもりて聞きつけらる。

 「いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとかいひしひとこと。うへより落つるとやかいたまへらむ。おしつゝみて名殘もいかでよからむ」など口ずさび給へり。人めして給ひつ。御返事をだに見つけてしがな、猶いかなることぞとけしき見まほしうおぼす。日たけてぞもて參れる。紫のこまやかなる紙すくよかにて小少將ぞ例の聞えたる。唯同じさまにかひなきよしを書きていとほしさにかのありつる御文に手習ひすさみ給へるをぬすみたるとて中にひきやりて入れたり。目には見給ひてけりとおぼすばかりの嬉しさぞいと人わろかりける。そこはかとなく書き給へるを見つゞけ給へれば、

 「朝夕になくねをたつるをの山は絕えぬなみだやおとなしの瀧」とやとりなすべからむふることなど物思はしげにかきみだり給へる御手など見所あり。人のうへなどにてかやう