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ひ聞え給はむ。御山ずみもいと深き峯に世の中をおぼし絕えたる雲の中なめれば聞え通ひ給はむことかたし。いとかく心うき御氣色聞えしらせ給へ。萬の事さるべきにこそ。世にありへじとおぼすともしたがはぬ世なり。まづはかゝる御別れの御心にかなはゞあるべきことかは」など萬におほくの給へど、聞ゆべきこともなくて打ち歎きつゝ居たり。鹿のいといたく鳴くを「われおとらめや」とて、

 「里とほみ小野の篠原わけてきてわれもしかこそ聲もをしまね」とのたまへば、

 「ふぢごろも露けき秋の山人はしかのなく音にねをぞそへつる」。よからねど折からに忍びやかなるこわづかひなどをよろしう聞きなし給へり。御せうそことかう聞え給へど「今はかくあさましき夢の世を少しも思ひさます折あらばなむ、絕えぬ御とぶらひも聞えやるべき」とのみすくよかにいはせ給ふ。「いみじういふかひなき御心なりけり」と歎きつゝ歸り給ふ。道すがらも哀なる空を眺めて十三日の月いと花やかにさし出でぬればをぐら山もたどるまじうおはするに一條の宮はみちなりけり。いとゞうちあばれて未申の方のくづれたるを見いるればはるばるとおろしこめて人かげも見えず。月のみ遣水のおもてをあらはにすみなしたるに大納言こゝにてあそびなどし給ひし折々を思ひ出で給ふ。

 「見し人のかげすみはてぬ池水にひとりやどもる秋の夜の月」とひとりごちつゝ殿におはしても月を見つゝ心は空にあくがれ給へり。「さも見苦しう、あらざりし御くせかな」と御達もにくみあへり。上はまめやかに心うくあくがれたちぬる御心なめり、もとよりさる方に