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御有樣を、我が御あやまちならぬに大空をかこちて見奉りすぐすを、いとかう人のため我がためよろづに聞きにくかりぬべき事の出できそひぬべきが、さてもよその御名をばしらぬ顏にてよのつねの御有樣にだにあらばおのづからありへむにつけても慰む事もやと思ひなし侍るを、こよなう情なき人の御心にも侍りけるかな」とつぶつぶと泣き給ふ。いとわりなくおしこめての給ふを、あらがひはるけむ言の葉もなくて唯打ち泣き給へるさまおほどかにらうたげなり。うちまもりつゝ「あはれ何事かは人に劣り給へる。いかなる御すくせにてやすからず物を深くおぼすべき契深かりけむ」などのたまふまゝにいみじう苦しうし給ふ。ものゝけなどもかゝるよわめに所うるものなりければ俄に消え入りてたゞひえにひえ入り給ふ。律師も騷ぎたち給うて願などたてのゝしり給ふ。深きちかひにて今は命を限りける山ごもりをかくまでおぼろげならず出で立ちて壇毀ちて歸り入らむことのめいぼくなく佛もつらく覺え給ふべきことを、心を起して祈り申し給ふ。宮の泣き惑ひ給ふ事いとことわりなりかし。かく騷ぐ程に大將殿より御文とりいれたるほのかに聞き給ひて、今宵もおはすまじきなめりとうち聞き給ふ。心うく世のためしにもひかれ給ふべきなめり、何に我さへさる言の葉を殘しけむとさまざまおぼし出づるにやがて絕えいり給ひぬ。あいなくいみじといへばおろかなり。昔より物の氣には時々煩ひ給ふ。限と見ゆる折々もあれば例のごととりいれたるなめりとて加持參りさわげどいまはの樣はしるかりけり。宮はおくれじとおぼしいりてつとそひふし給へり。人々まゐりて「今はいふかひなし。いとかうおぼすともかぎりある道