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と思ふもあやうくなどむつましうさぶらふかぎりはおのがどち思ひみだる。御息所もかけてしり給はず、ものゝけに煩ひ給ふ人はおもしと見れどさはやぎ給ふひまもありてなむ物おぼえ給ふ。晝つかた日中の御加持はてゝ阿闍梨ひとりとゞまりて猶陀羅尼讀み給ふ。よろしう坐します悅びて「大日如來そらごとし給はずばなどてかかくなにがしが心をいだして仕うまつる御す法にしるしなきやうはあらむ。あくらうはしふねきやうなれどごつしやうにまつはれたるはかなものなり」と聲はかれていかり給ふ。いとひじりだちすくすくしきりしにてゆくりもなく「そよやこの大將はいつよりこゝには參り通ひ給ふぞ」ととひ申し給ふ。御息所「さることも侍らず。故大納言のいとよき中にて語らひつけ給へる心たがへじと、この年比さるべきことにつけていとあやしくなむ語らひ物し給ふも、かくふりはへわづらふを、とぶらひにとて立ち寄り給へりければ辱く聞き侍りき」と聞え給ふ。「いであなかたは。なにがしにかくさるべきことにもあらず。けさごやにまうのぼりつるにかの西の妻戶よりいとうるはしき男の出で給へるを、霧ふかくてなにがしはえ見わい奉らざりつるを、この法師ばらなむ、大將殿の出で給ふなりけりよべも御車も歸してとまり給ひけると口々申しつる。げにいとかうばしきかのみちて頭痛きまでありつれば、げにさなりけりと思ひあはせ侍りぬる。常にいとかうばしう物し給ふ君なり。この事いと切にもあらぬことなり。人はいと有職にものし給ふ。なにかし等もわらはにものし給ひし時より、かの君の御ための事はずほふをなむ故大宮ののたまひつけたりしかば、一かうにさるべきこと今に承はる所なれどい