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にあさましかりし有樣めざましうもはづかしうもおぼすに心づきなくて、御息所の漏りきゝ給はむこともいとはづかしう又かゝることやとかけてしり給はざらむに、たゞならぬふしにても見つけ給ひ、人の物いひかくれなき世なればおのづから聞きあはせて隔てけるとおぼさむがいと苦しれば、人々ありしまゝに聞えもらさなむ、うしとおぼすもいかゞはせむとおぼす。親子の御中と聞ゆる中にも露へだてずぞ思ひかはし給へる。よその人はもり聞けども親にかくすたぐひこそは昔物語にもあめれど、さはたおぼされず。人々は何かはほのかに聞き給ひてもことしもありがほにとかくおぼし亂れむ、まだきに心苦しなどいひ合せていかならむと思ふどちこの御せうそこのゆかしきをひきもあけさせ給はねば心もとなくて「猶むげに聞えさせ給はざらむも覺束なくわかわかしきやうにぞ侍らむ」など聞えて、ひろげたれば「あやしう何心もなきさまにて人にかばかりにても見ゆるあはつけさの、みづからのあやまちに思ひなせど、思ひやりなかりしあさましさも慰めがたくなむ。え見ずとをいへ」と殊の外にてよりふさせ給ひぬ。さるはにくげもなくいと心ぶかうかい給ひて、

 「たましひをつれなき袖にとゞめおきて我が心から惑はるゝかな。ほかなるものはとか昔もたぐひありけりと思ひ給へなすにも、更に行きがたしらずのみなむ」などいと多かめれど人はえまほにも見ず。例の氣色なるけさの御文にもあらざめれど猶え思ひはるけず。人々は氣色もいとほしきを歎しう見奉りつゝ、いかなる御ことにかはあらむ、何事につけてもありがたう哀なる御心ざまはほどへぬれど、かゝるかたに賴み聞えては見おとりやし給はむ