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きはゝ心もえをさめあふまじう知らぬことごとゝけしからぬ心づかひもならひはじむべう思ひ給へよらるれ」とていと後めたくなかなかなれど、ゆくりかにあざれたることのまことにならはぬ御心ちなればいとほしう我が御みづからも心おとりやせむなどおぼいて、誰が御ためにもあらはなるまじき程の霧に立ちかくれて出で給ふ心ちそらなり。

 「荻原や軒ばのつゆにそぼちつゝやへたつ霧をわけぞゆくべき。ぬれぎぬは猶えほさせ給はじ。かうわりなうやらはせ給ふ御心づからこそは」と聞え給ふ。げにこの御名のたけからずもりぬべきを心のとはむにだに口淸うこたへむとおぼせば、いみじうもてはなれ給ふ。

 「わけゆかむ草葉の霧をかごとにて猶ぬれ衣をかけむとや思ふ。めづらかなることかな」とあばめ給へるさまいとをかしうはづかしげなり。年比人にたがへる心ばせ人になりてさまざまになさけを見え奉る名殘なくうちたゆめすきずきしきやうなるがいとほしう心はづかしげなれば、䟽ならず思ひかへしつゝ、かうあながちに隨ひ聞えても後をこがましくやとさまざまに心亂れつゝ出で給ふ。道の露けさもいと所せし。かやうのありきならひ給はぬ心ちにをかしうも心づくしにおぼえつゝ、殿におはせば女君のかゝるぬれをあやしと咎め給ひぬべければ、六條院のひんがしのおとゞにまうで給ひぬ。まだ朝霧もはれずましてかしこにはいかにと覺しやる。例ならぬ御ありきありけりと人々はさゞめく。暫し打ち休み給ひて御ぞぬきかへたまふ。夏冬といときよらにしおき給へればかうの御唐櫃よりとうでゝ奉り給ふ。御かゆなどまゐりて御前に參り給ふ。かしこに御文奉り給へれば御覽じもいれず、俄