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うたて心のまゝなるさまにもあらず。人の御有樣のなつかしうあてになまめい給へることさはいへどことに見ゆ。世と共にものを思ひ給ふけにや、やせやせにあえかなる心ちしてうちとけ給へるまゝの御袖のあたりもなよびかにけぢかうしみたるにほひなどとりあつめてらうたげにやはらかなる心ちし給へり。風いと心ぼそう更け行く夜の氣色蟲の音も鹿のなくおとも瀧の音もひとつに亂れて艷なる程なれば、唯ありのあはつけ人だにねざめしぬべき空の氣色を格子もさながら入りがたの月の山の端近きほどとめがたう物哀なり。「猶かうおぼししらぬ御有樣こそかへりては淺う御心の程しらるれ。かう世づかぬまでしれじれしき後やすきなどもたぐひあらじと覺え侍るを、何事にもかやすきほどの人こそかゝるをばしれものなど打ち笑ひてつれなき心つかふなれ。あまりこよなくおぼしおとしたるに、えなむしづめはつまじき心ちし侍る。世の中をむげにおぼししらぬにしもあらじを」と萬に聞えせめられ給ひていかゞいふべきと侘しうおぼしめぐらす。世をしりたる方の心安きやうに折々ほのめかすもめざましう、げにたぐひなき身のうさなりやとおぼしつゞけ給ふに、しぬべくおぼえ給うて、「うきみづからの罪を思ひしるとても、いとかうあさましきを、いかやうに思ひなすべきにかはあらむ」といとほのかに哀げにない給ひて、

 「われのみやうき世をしれるためしにてぬれそふ袖の名をくたすべき」と、のたまふともなきを我が心につゞけて忍びやかに打ちずじ給へるもかたはらいたく、いかにいひつることぞとおぼさるゝに「げにあしう聞えつかし」などほゝゑみ給へる氣色にて、