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りのさまなり。麗はしかるべき折ふしは所せくよだけきぎしきを盡してかたみに御覽ぜられ給ふ。又いにしへのたゞ人ざまにおぼしかへりて、今宵はかるがるしきやうにふとかく參り給へれば、いたう驚き待ちよろこび聞え給ふ。ねびとゝのひ給へる御かたちいよいよことものならず、いみじき御盛のよを御心とおぼし捨てゝしづかなる御有樣に哀すくなからず。その夜の歌どもからのもやまとのも心ばへ深うおもしろくのみなむ。例の事たらぬかたはしはまねぶもかたはらいたくてなむ。明方にふみなどかうじて疾く人々まかで給ふ。六條院は中宮の御方に渡り給ひて御物語など聞え給ふ。「今はかう靜なる御住まひにしばしばも參りぬべく、何とはなけれど過ぐる齡にそへて、忘れぬ昔の御物語などうけたまはり聞えまほしう思ひ給へるに、何にもつかぬ身の有樣にてさすがにうひうひしく所せくも侍りてなむ。われより後の人々にかたがたにつけて後れ行く心ちし侍るもいと常なき世の心ぼそさののどめ難うおぼえ侍れば、世ばなれたる住まひにもやとやうやう思ひ立ちぬるを、のこりの人々の物はかなからむたゞよはし給ふなと、さきざきも聞えつけし心違へず覺しとゞめて物せさせ給へ」などまめやかなるさまに聞えさせ給ふ。例のいとわかうおほどかなる御けはひにて「九重のへだて深う侍りし年比よりもおぼつかなさのまさるやうに思ひ給へらるゝ有樣を、いと思の外にむつかしうて、皆人のそむき行く世を厭はしう思ひなることも侍りながら、その心のうちを聞えさせうけ給はらねば何事もまづたのもしきかげには聞えさせならひていぶせく侍る」と聞え給ふ。「げにおほやけざまにては限ある折節の御里居もいとよ