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原に聲をしまぬもいとへだて心ある蟲になむありける。鈴蟲は心やすく今めいたるこそらうたけれ」などのたまへば、宮、

 「大かたの秋をばうしとしりにしをふり捨てがたきすゞむしの聲」と忍びやかにのたまふ、いとなまめいてあてにおほどかなり。「いかにとかや。いで思の外なる御事にこそ」とて、

 「こゝろもて草のやどりをいとへどもなほすゞ蟲の聲ぞふりせぬ」など聞え給ひてきんの御琴召して珍しく彈き給ふ。宮御すゞひきをこたり給ひて御琴に猶心いれ給へり。月さし出でゝ、いと華やかなる程も哀なるに空をうちながめて世の中さまざまにつけて、はかなく移り變る有樣もおぼしつゞけられて、例よりも哀なる音にかきならし給ふ。今夜は例の御遊にやあらむとおしはかりて兵部卿の宮渡り給へり。大將の君殿上人のさるべきなど具して參りたまへれば、こなたにおはしますと御琴の音を尋ねてやがて參り給ふ。「いとつれづれにてわざと遊びとはなくとも、久しく絕えにたる珍しき物のねなど聞かまほしかりつるひとりごとをいとよう尋ね給ひける」とて宮もこなたにおましよそひて入れ奉り給ふ。うちのお前に今夜は月の宴あるべかりつるをとまりてさうざうしかりつるに、この院に人々參り給ふと聞き傅へて、これかれ上達部なども參り給へり。蟲の音のさだめをし給ひて御琴どもの聲々かきあはせておもしろき程に、「月見る宵のいつとても物哀ならぬをりはなき中に、今宵のあらたなる月の色にはげに猶我が世のほかまでこそよろづ思ひながさるれ。故權大納言何の折々にもなきにつけていとゞ忍ばるゝことおほく、おほやけわたくし物の折ふし