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「ましてひとへに賴まれ奉るべきすぢにむつびなれ聞えむことはいとなかなかに打ち續き、世を去らむきざみ心苦しくみづからのためにも淺からぬほだしになむあるべき。中納言などは年若くかるがるしきやうなれど行く先遠くて人がらも遂におほやけの御うしろみともなりぬべきおひさきなめれば、さもおぼしよらむになどかこよなからむ。されどいといたくまめだちて思ふ人定まりにてぞあめれば、それに憚らせ給ふにやあらむ」などのたまひてみづからはおぼしはなれたるさまなるを、辨はおぼろげの御定めにもあらぬをかくのたまへばいとほしくも口惜しくも思ひて、うちうちに覺え立ちにたるさまなど委しく聞ゆれば、さすがに打ちゑみつゝ、「いと悲しくし奉り給ふ御子なめればあながちにかくきし方行く先のたどりも深きなめりかしな。唯內にこそ奉り給はめ。やんごとなきまづの人々おはすといふことはよしなきことなり。それにさはるべきことにもあらず。必ずさりとて末の人愚なるやうもなし。故院の御時に、大后の坊の始の女御にていきまき給ひしかどむげの末に參り給へりし、入道宮にしばしはおされ給ひにきかし。この御子の御母女御こそはかの宮の御はらからにものし給ひけめ。かたちもさしつぎにはいとよしといはれ給ひし人なりしかばいづかたにつけてもこの姬宮おしなべてのきはにはよもおはせじを」などいぶかしくは思ひ聞え給ふべし。

年も暮れぬ。朱雀院には御心地猶をこたるさまにもおはしまさねば萬あわたゞしくおぼし立ちて、御もぎのことおぼしいそぐさま、きし方行くさきありがたげなるまでいつくしくのゝしる。御しつらひはかへ殿の西面に御几帳よりはじめてこゝの綾錦をばまぜ