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おのびやくだんして造り奉りたる、こまかに美くしげなり。閼伽の具は例のきはやかにちひさくて、靑き白き紫のはちすをとゝのへて、荷葉の方を合せたる名香、みちをかくしほろゝげてたきにほはしたるひとつかをりに匂ひあひていとなつかし。經は六道のすじやうのために六部かゝせ給ひて、みづからの御持經は院ぞ御手づからかゝせ給ひける。これをだにこの世の結緣にてかたみに導きかはし給ふべき心を願文に作らせ給へり。さては阿彌陀經唐の紙はもろくて朝夕の御てならしにもいかゞとて、かんやの人をめして殊に仰事給ひて、心ことにきよらにすかせ給へるに、この春の頃ほひより御心とゞめて急ぎかゝせ給へるかひありてはしを見給ふ人々目もかゞやきまどひ給ふ。けかけたるかねのすぢよりも墨づきの上に輝くさまなどもいとなむめづらかなりける。軸、表紙、箱のさまなどいへばさらなりかし。これは殊にぢんのけそくの机にすゑて、佛の御おなじ帳臺の上にかざられ給へり。堂かざりはてゝ講師まうのぼりぎやうだうの人々參りつどひ給へば、院もあなたに出で給ふとて宮のおはします西の廂にのぞき給へれば、せばき心ちするかりのしつらひに所せくあつげなるまで、ことごとしくさうぞきたる女房五六十人ばかりつどひたり。北の廂の簀子までわらはべなどはさまよふ。火取どもあまたしてけぶたきまであふぎちらせば、さしより給ひて、「そらにたくはいづくの煙ぞと思ひわかれぬこそよけれ。富士の峯よりもげにくゆりみち出でたるはほいなきわざなり。かうぜちのをりは大方のなりをしづめてのどかに物の心もきゝわくべきことなれば、はゞかりなききぬのおとなひ人のけはひしづめてなむよかる