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置き侍りし中にしかじかなむ深くかしこまり申すよしを返す返すものし侍りしかば、いかなることにか侍りけむ、今にその故をなむえ思ひ給へより侍らねばおぼつかなく侍る」といとたどたどしげに聞え給ふに、さればよとおぼせど何かはそのほどのこと顯はしのたまふべきならねば、しばしおぼめかしくて「しか人のうらみとまるばかりの氣色は何のついでにかもり出でけむと、みづからもえ思ひ出でずなむ。さて今しづかにかの夢は思ひ合せてなむ聞ゆべき。よるかたらずとか、女房のつたへにいふことなり」とのたまひて、をさをさ御いらへもなければ、うちいできこえてけるを、いかにおぼすにかとつゝましくおぼしけるとぞ。


鈴蟲

夏頃はちすの花の盛に入道の姬宮の御持佛どもあらはしいで給へる供養せさせ給ふ。このたびはおとゞの君の御志にて御念誦堂の具どもこまかにとゝのへさせ給へるをやがてしつらはせ給ふ。はたのさまなどなつかしう心ことなる唐の錦をえらびぬはせ給へり。紫の上ぞいそぎせさせ給ひける。花づくゑのおほひなどをかしきめぞめもなつかしうきよらなる匂ひそめつけられたる心ばへめなれぬさまなり。よるの御帳のかたびらをよおもてながらあげて後の方に法華のまだらかけ奉りて、しろがねの花がめに高くことごとしき花の色をととのへて奉れり。みやうがうには唐の百步のかうをたき給へり。あみだ佛、脇士の菩薩、おの