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るけはひどもしるく、きぬのおとなひも大方のにほひかうばしく心にくきほどなり。例の御息所對面し給ひて昔の物語ども聞えかはし給ふ。わが御とのゝ明暮人しげく物さわがしく幼き君達などすだきあわて給ふにならひ給ひていと靜に物あはれなり。うちあれたる心ちすれどあてにけだかくすみなし給ひてぜんざいの花ども蟲の音しげき野邊とみだれたるゆふばえを見わたし給ふ。わごんをひきよせ給へればりちにしらべられていとよく彈きならしたる、ひとがにしみてなつかしうおぼゆ。かやうなるあたりに思ひのまゝなるすき心ある人はしづむることなくて、さま惡しきけはひをもあらはし、さるまじき名をもたつるぞかしなど思ひ續けつゝ搔きならし給ふ。故君の常にひき給ひしことなりけり、をかしき手ひとつなどすこしひき給ひて「哀いと珍らかなるねにかきならし給ひしはや。この御ことにもこもりて侍らむかし。承りあらはしてしがな」との給へば「ことのをたえにし後より昔の御わらはあそびの名残をだに思ひ出で給はずなむなりにて侍るめる。院の御前にて女宮たちのとりどりの御ことゞも試みきこえ給ひしにもかやうの方はおぼめかしからず物し給ふとなむ定め聞え給ふめりしを、あらぬさまにほれぼれしうなりてながめすぐし給ふめれば、世のうきつまにといふやうになむ見給ふる」と聞き給へば「いとことわりの御おもひなりや。かぎりだにある」と打ちながめて琴はおしやり給へれば「かれなほさらば聲に傅はることもやと聞きわくばかりならさせ給へ。物むつかじう思う給へ沈める耳をだにあきらめ侍らむ」と聞え給ふを「しかつたはるなかのをはことにこそ侍らめ。それをこそ承らむと聞えつれ」とて