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心いれてつくろひ給ひしも心に任せてしげりあひひとむら薄もたのもしげにひろごりて蟲の音そはむ秋思ひやらるゝより、いと物哀に露けくてわけ入り給ふ。伊豫簾かけわたしてにびいろの几帳の衣がへしたるすきかげ凉しげに見えて、よきわらはのこまやかににばめるかざみのつま頭つきなどほの見えたり。をかしけれど猶目驚かるゝ色なりかし。今日はすのこに居給へばしとねさし出でたり。いとかるらかなるおましなりとて、例の御息所驚かし聞ゆれど、この比なやましとてよりふし給へりとかく聞え紛はす程、御前のこだちども思ふことなげなる氣色を見給ふもいと物哀なり。柏木と楓との物よりけに若やかなる色して枝さしかはしたるを、「いかなるちぎりにか。末あへるたのもしさよ」などの給ひて忍びやかにさしよりて、

 「ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと。御簾のとのへだてあるほどこそうらめしけれ」とてなげしにより居給へり。なよびすがたはたいといたうたをやぎけるをやとこれかれつきしろふ。このあへしらへ聞ゆる少將の君といふ人して、

 「柏木にはもりの神はまさずとも人ならすべき宿の木末か」。「うちつけなる御言の葉になむ淺う思ひ給へなりぬる」と聞ゆれば、げにとおぼすに少しほゝゑみ給ひぬ。御息所少しゐざり出で給ふけはひすればやをらゐなほり給ひぬ。「うき世の中を思ひ給へしづむ月日のつもるけぢめにや、みだり心ちもあやしうほれぼれしうてすぐし侍るを、かく度々かさねさせ給ふ御とぶらひのいとかたじけなきに、思ひ給へおこしてなむ」とて、げに惱ましげなる