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の玉はぬくとあるふしのげにとおぼさるゝに心亂れて久しうえためらひ給はず。「君の御母君のかくれ給へりし秋なむ、世に悲しきことのきはには覺え侍りしを、女は限ありて見る人すくなうとあることもかゝることもあらはならねば、かなしびもかくろへてなむありける。はかばかしからねどおほやけも捨て給はずやうやう人となりつかさくらゐにつけてあひ賴む人々おのづから次々に多うなりなどして、驚き口惜しがるもるゐにふれてあるべし。かう深き思ひはその大方の世のおぼえもつかさ位もおもほえず、唯ことなることなかりしみづからのありさまのみこそ堪へがたく戀しかりけれ、何ばかりの事にてかは思ひさますべからむ」と、空を仰ぎてながめ給ふ。夕暮の雲の氣色にび色にかすみて花の散りたる梢どもをも今日ぞ目とゞめ給ふ。この御たゝうがみに、

 「木のしたの雫にぬれてさかさまにかすみの衣きたる春かな」。大將の君、

 「なき人もおもはざりけむうちすてゝ夕のかすみ君きたれとは」。辨の君、

 「うらめしや霞のころも誰着よと春よりさきに花の散りけむ」。御わざなど世の常ならずいかめしうなむありける。大將殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことにずきやうなども哀に深き心ばへを加へ給ふ。かの一條の宮にも常にとぶらひ聞え給ふ。卯月ばかりの空はそこはかとなう心ちよげにひとつ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、物思ふ宿は萬の事につけてしづかに心ぼそくくらしかね給ふに例の渡り給へる。庭もやうやう靑み出づる若草見えわたり此處彼處のすなごうすき物のかくれのかたに蓬も所えがほなり。前栽に