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るに思ひ給へあはすれば、みづからの心の程なむ同じうは强うもあらがひ聞えましをと思ひ侍るに猶いとくやしう、それもかやうにしも思ひより侍らざりきかし。御子達はおぼろげの事ならで、惡しくも善くも、かやうに世づき給ふことはえ心にくからぬことなりとふるめき心には思ひ侍りしを、いづかたにもよらず中空にうき御すくせなりければ、何かはかゝる序にけぶりにも紛れ給ひなむは、この御身のため人ぎゝなどは殊に口をしかるまじけれど、さりとてもしかすかやかにえ思ひしづむまじう悲しう見奉り侍るに、いと嬉しう淺からぬ御とぶらひの度々になり侍るめるを、ありがたうもと聞え侍るも、さらばかの御契ありけるにこそはと思ふやうにしも見えざりし御心ばへなれど、今はとてこれかれにつげおき給ひける御ゆゐごんの哀なるになむ。憂きにも嬉しきせは交り侍りけり」とていといたうない給ふけはひなり。大將もとみにえためらひ給はず「怪しういとこよなくおよすげ給へりし人の、かゝるべうてや、この二三年のこなたなむいたうしめりて物心細げに見え給ひしかば、あまり世のことわりを思ひしり物深うなりぬる人のすみすぎてかゝるためし心うつくしからず、かへりてはあざやかなる方のおぼえうすらぐものなりとなむ、常にはかばかしからぬ心に諫め聞えしかば心あさしと思ひ給へりし、萬よりも人にまさりてげにかのおぼし歎くらむ御心のうちのかたじけなけれど。いと心苦しうも侍るかな」など懷しうこまやかに聞え給ひて、やゝ程經てぞ出で給ふ。かの君は五六年の程のこのかみなりしかど猶いと若やかになまめきあいだれて物し給ひし。これはいとすくよかに重々しく雄々しきけはひ