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なきさまのし給へれば御息所ぞたいめし給へる。「いみじきことを思ひ給へ歎く心はさるべき人々にも越えて侍れど限あれば聞えさせやる方なうて世の常になり侍りにけり。いまはの程にものたまひ置く事侍りしかばおろかならずなむ。誰ものどめ難き世なれば、後れ先だつ程のけぢめには思ひ給へ及ばむにしたがひて深き心の程をも御覽ぜられにしがなとなむ。神わざなどしげき比ほひ私の志にまかせて、つくづくと龍り居侍らむも、例ならぬ事なりければ立ちながらはたなかなかに飽かず思ひ給へらるべうてなむ日比はすぐし侍りにける。おとゞなどの心を亂り給ふさま見聞き侍るにつけても親子の道のやみをばさるものにて、かゝる御中らひの深く思ひとゞめ給ひけむ程を推し量り聞えさするにいと盡きせずなむ」とてしばしばおしのごひ鼻打ちかみ給ふ。あざやかに氣高きものから懷しうなまめいたり。御息所も鼻聲になり給ひて「哀なることはその常なき世のさがにこそは、いみじとても又類ひなき事にやはと、年積りぬる人はしひて心づようさまし侍るを、更におぼし入りたるさまのいとゆゝしきまでしばしも立ち後れ給ふまじきやうに見え侍れば、すべていと心うかりける身の今までながらへ侍りてかくかたがたにはかなき世の末の有樣を見給へすぐすべきにやといとしづ心なくなむ。おのづから近き御なからひにて聞き及ばせ給ふやうも侍りけむ。初めつかたよりをさをさうけひき聞えざりし御ことを、おとゞの御心むけも心苦しう院にもよろしきやうにおぼしゆるいたる御氣色などの侍りしかば、更にみづからの心おきての及ばぬなりけりと思ひ給へなして見奉りつるを、かく夢のやうなることを見給ふ