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もたひらかなるためし近ければさすがにたのみある世になむ」など聞え給ひて御湯まゐり給ふ。いといたう靑みやせてあさましうはかなげにて打ち臥し給へる御さまおほどきうつくしげなれば、いみじきあやまちありとも心弱く許しつべき御さまかなと見奉り給ふ。山のみかどは珍しき御事たひらかなりと聞し召して哀にゆかしうおもほすに、かく惱み給ふよしのみあれば、いかに物し給ふべきにかと御おこなひも亂れておぼしけり。さばかり弱り給へる人の物をきこしめさで日比經給へばいとたのもしげなくなり給ひて年比見奉らざりし程よりも院のいと戀しく覺え給ふを、またも見奉らずなりぬるにやといたうなき給ふ。かく聞え給ふさまさるべき人して傳へ奏せさせ給ひければ、いと堪へがたう悲しとおぼして、あるまじき事とはおぼし召しながら世にかくれて出でさせ給ふ。かねてさる御せうそこもなくて俄にかく渡りおはしまいたればあるじの院驚きかしこまり聞え給ふ。「世の中をかへりみすまじう思ひ侍りしかど、猶惑ひさめがたきものはこの道の闇になむ侍りければ、行ひもけだいしてもしおくれさきだつ道のだう理のまゝならで別れなばやがてこの恨もやかたみに殘らむと、あぢきなさにこの世のそしりをばしらでかくものし侍り」と聞え給ふ。御かたちことにてなまめかしうなつかしきさまにうち忍びやつれ給ひてうるはしき御法服ならず、すみぞめの御姿、あらまほしう淸らなるもうらやましく見奉り給ひ、例のまづ淚おとし給ふ。「わづらひ給ふ御さま殊なる御惱みにも侍らず、唯月比弱り給へる御有樣に、はかばかしう物なども參らぬつもりにやかく物し給ふにこそ」など聞え給ふ。「かたはら痛きおまし