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れば、老いしらへる人などは「いでやおろかにも坐しますかな。珍しうさし出で給へる御有樣のかばかりゆゝしきまでにおはしますを」とうつくしみ聞ゆれば、かた耳に聞き給ひてさのみこそはおぼし隔つることもまさらめと、怨めしう我が身つらくて尼にもなりなばやの御心つきぬ。よるなどもこなたには大殿籠らず、晝つ方などぞさしのぞき給ふ。「世の中のはかなきを見るまゝに行く末短かう物心ぼそくて行ひがちになりにて侍れば、かゝる程のらうがはしき心ちするにより、得參りこぬを、いかゞ御心ちはさはやかにおぼしなりにたりや。心苦しうこそ」とて御几帳のそばよりさし覗き給へり。御ぐしもたげ給ひて「猶えいきたるまじき心ちなむし侍るを、かゝる人は罪もおもかなり。尼になりてもしそれにやいきとまると試み又なくなるとも罪を失ふことにもやとなむ思ひ侍る」と常の御けはひよりはいとおとなびて聞え給ふを、「いとうたてゆゝしき御事なり。などてかさまではおぼす。かゝることはさのみこそおそろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそはあらめ」と聞え給ふ。御心のうちには誠にさもおぼしよりてのたまはゞ、さやうにて見奉らむは哀なりなむかし、かつ見つゝもことにふれて心おかれ給はむが心苦しう、我ながらもえ思ひなほすまじううき事うち交りぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むることもあらむがいといとほしう、院などの聞しめさむことも我がをこたりにのみこそはならめ、御惱みにことづけてさもやなし奉りてましなど覺しよれど、又いとあたらしう哀にかばかり遠きみぐしのおひさきを、しかやつさむことも心苦しければ「猶つよくおぼしなれ。けしうはおはせじ。かぎりと見ゆる人