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ればしぶしぶに書い給ふをとりて忍びてよひのまぎれにかしこに參りぬ。おとゞはかしこきおこなひ人葛城山よりさうじ出でたる、待ちうけ給ひて加持參らせむとし給ふ。みずほふどきやうなどもいとおどろおどろしうさわぎたり。人の申すまゝにさまざまひじりだつげんざなどの、をさをさ世にも聞えず深き山に籠りたるなどをも、弟の君だちをつかはしつゝ尋ねめす、にけにくゝ心づきなき山伏どもなどもいと多くまゐる。煩ひ給ふさまのそこはかとなく物を心ぼそく思ひてねをのみ時々はなき給ふ。陰陽師なども多くは女の靈とのみ占ひ申しければさることもやとおぼせど、更にものゝけの顯れ出でくるもなきに、おもほしわづらひてかゝる隈々をも尋ね給ふなりけり。このひじりもたけたかやかにまぶしつべだましくて、荒らかにおどろおどろしく陀羅尼讀むを「いであなにくや、罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の聲高きはいとけおそろしくていよいよしぬべくこそ覺ゆれ」とて、やをらすべり出でゝこの侍從と語らひ給ふ。おとゞはさもしり給はず「うちやすみたる」と人々して申させ給へば、さおぼして忍びやかにこの聖と物語し給ふ。おとなび給へれど猶花やぎたるところつきて物わらひし給ふおとゞの、かゝるものどもと向ひ居てこの煩ひそめ給ひし有樣、何ともなくうちたゆみつゝおもり給へること「誠にこのものゝけあらはるべく念じ給へ」などこまやかに語らひ給ふもいと哀れなり。「かれ聞き給へ。何の罪ともおぼしよらぬに占ひよりけむ女の靈こそ誠にさる御しうの身にそひたるならば、いとはしき身もひきかへやんごとなくこそなりぬべけれ。さてもおほけなき心ありてさるまじきあやまちをひき出でゝ、人の御