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ゆるいてむかし、萬の事今はのとぢめには皆消えぬべきわざなり、又ことざまのあやまちしなければ年比物のをりふしごとにまつはしならひ給ひにしかたの哀も出できなむなど、つれづれに思ひ續くるもうちかへしいとあぢきなし。などかく程もなくしなしつる身ならむとかきくらし思ひ亂れて枕もうきぬばかり人やりならずながしそへつゝ、いさゝかひまありとて人々立ちさり給へる程に、かしこに御文奉れ給ふ。「今はかぎりになりにて侍る有樣はおのづからきこし召すやうも侍らむを、いかゞなりぬるとだに御耳とゞめさせ給はぬもことわりなれど、いとうくも侍るかな」と聞ゆるに、いみじうわなゝけば思ふこともみなかきさして、

 「今はとてもえむ煙もむすぼゝれ絕えぬおもひのなほや殘らむ。哀とだにのたまはせよ。心のどめて人やりならぬ闇に惑はむ道の光にもし侍らむ」と聞え給ふ。侍從にもこりずまに哀なる事どもを言ひおこせ給へり。「みづからも今一たびいふべき事なむある」との給へれば、この人もわらはよりさるたよりに參り通ひつゝ見奉りなれたる人なればおほけなき心こそうたて覺え給ひけれ。今はと聞くはいとかなしうてなくなく「猶この御かへり誠にこれをとぢめにもこそ侍れ」と聞ゆれば「我も今日か明日かの心ちして物心ぼそければ大方の哀ばかりは思ひ知らるれど、いと心うきことゝ思ひこりにしかばいみじうなむつゝましき」とて更にかい給はず。御心の本性の强くづしやかなるにはあらねど耻しげなる人の御けしきの折々にまほならぬがいと恐しうわびしきなるべし。されど御硯などまかなひて責め聞ゆ