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柏木

衞門のかんの君かくのみ惱みわたり給ふこと猶をこたらで年もかへりぬ。おとゞ北の方おぼし歎くさまを見奉るにしひてかけはなれなむ命かひなく罪おもかるべきことを思ふ。心はこゝろとして又あながちにこの世に離れがたく惜み留めまほしき身かは、いはけなかりし程より思ふ心ことにて何事をも人には今一きはまさらむとおほやけわたくしのことにふれてなのめならず思ひのぼりしかど、その心かなひ難かりけりとひとつふたつのふしごとに身を思ひおとしてしこなた、なべての世の中すさまじう思ひなりて後の世のおこなひにほい深くすゝみにしを親たちの御うらみを思ひて野山にもあくがれむ道の重きほだしなるべく覺えしかば、とざまかうざまに紛らはしつゝすぐしつるを、遂に猶世に立ちまふべくも覺えぬ物思ひの一方ならず身にそひにたるはわれより外に誰かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれと思ふに恨むべき人もなし。神佛をもかこたむ方なきはこれ皆さるべきにこそあらめ、たれも千年の松ならぬ世はつひにとるべきにもあらぬを、かく人にも少しうち忍ばれぬべき程にてなげの哀をもかけ給ふ人あらむをこそはひとつ思ひにもえぬるしるしにはせめ、せめてながらへばおのづからあるまじき名もをもたち、我も人も安からぬみだれ出で來るやうもあらむよりは、なめしと心おい給へらむあたりにもさりともおぼし