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と覺束なしとて殿にわたし奉り給ふを、女宮のおぼしたるさま又いと心ぐるし。事なくてすぐす月日は心のどかにあいなだのみしていとしもあらぬ御志なれど今はと別れ奉るべきかどでにやと思ふは哀に悲しく、後れて思し歎かむことのかたじけなきをいみじと思ふ。母御息所もいといみじく歎き給ひて「世の事として親をばなほさるものにおき奉りてかゝる御なからひはとあるをりもかゝるをりも離れ給はぬこそ例のことなれ。かく引き別れてたひらかに物し給ふまでもすぐし給はむが心づくしなるべきことを、暫しこゝにてかくて試み給へ」と御傍に御几帳ばかりを隔てゝ見奉り給ふ。「ことわりや、數ならぬ身にて及び難き御なからひになまじひに許され奉りてさぶらふしるしには長く世に侍りてかひなき身の程も少し人とひとしくなるけぢめをもや御覽ぜらるゝとこそ思う給へつれいといみじくかくさへなり侍れば深き志をだに御覽じはてられずやなり侍りなむと思う給ふるになむ、とまりがたき心地にもえゆきやるまじく思ひ給へらるゝ」など、かたみになき給ひてとみにもえわたり給はねば、又母北の方うしろめたくおぼして、「などかまづ見えむとは思ひ給ふまじき。われは心地も少し例ならず心ぼそきときはあまたの中にまづ取りわきてゆかしくも賴もしくもこそ覺え給へ。かくいと覺束なきこと」と怨み聞え給ふも又いとことわりなり。人よりさきなりけるけぢめにや取りわきて思ひならひたるを今に猶悲しくし給ひて暫しも見えぬをば苦しきもにし給へば、心地のかくかぎりに覺ゆるをりしも見え奉らざらむ罪深くいぶせかるべし。「今はとたのみなく聞かせ給はゞいと忍びて渡り給ひて御覽ぜよ。必ず又對面