Page:Kokubun taikan 02.pdf/135

提供:Wikisource
このページは校正済みです

すまさむこと今しもなむ心づかひせらるべき。かの大將と諸共に見入れて舞の童部の用意心ばへよく加へ給へ。物の師などいふものは唯我が立てたることこそあれ。いと口惜しきものなり」などいと懷しくの給ひつくるを、嬉しきものから苦しくつゝましくてことずくなにてこの前を疾く立ちなむと思へば、例のやうにこまやかにもあらでやうやうすべり出でぬ。ひんがしのおとゞにて大將のつくろひ出し給ふ樂人舞人のさうぞくのことなど又々行ひ加へ給ふ。あるべきかぎりいみじく盡し給へるにいとゞ委しき心しらびそふもげにこの道はいと深き人にぞものし給ふめる。今日はかゝるこゝろみの日なれば御方々物見給はむに見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は赤きしらつるばみに、えびぞめのしたがさねを着るべし。今日は靑色にすはうがさね、樂人三十人今日はしらがさねを着たり。辰巳の方の釣殿につゞきたる廊をがくそにして山の南のそばより御前に出つる程せんゆうかといふもの遊びて雪のたゞいさゝかちるに春のとなり近く梅の氣色見るかひありてほゝゑみたり。廂の御簾の內に坐しませば、式部卿の宮右のおとゞばかりさぶらひ給ひて、それよりしもの上達部はすのこにわざとならぬ日のことにて御あるじなど氣近き程に仕うまつりなしたり。右の大殿の四郞ぎみ大將殿の三郞ぎみ兵部卿宮のそんわうの君だち二人はまんざいらくまだいとちひさき程にていとらうたげなり。四人ながらいづれとなくたかき家の子にてかたちをかしげにかしづき出でたる思ひなしもやんごとなし。又大將の御子のないしのすけばらの二郞ぎみ式部卿の宮の兵衞の督といひし、今は源中納言の御子皇麞、右の大い殿の三郞ぎ