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も聞ゆかしとさへおぼしよるも、こまやかなることおぼし捨てし世なれど、猶この道は離れ難くて、宮に御文こまやかにてありけるを、おとゞ坐します程にて見給ふ。「覺束なくてのみ年月のすぐるなむ哀なりける。惱み給ふなるさまはくはしく聞きし後ねんずのついでにも思ひやらるゝはいかゞ。世の中さびしく思はずなることありとも忍びすぐし給へ。うらめしげなる氣色などおぼろけにて見知り顏にほのめかす、いとしなおくれたるわざになむ」など敎へ聞え給へり。いといとほしく心苦しく、かゝる內々のあさましきをばきこし召すべきにはあらで、我がをこたりにほいなくのみ聞きおぼすらむことをとばかりおぼしつゞけて「この御かへりをばいかゞ聞え給ふ。心苦しき御せうそこにまろこそいと苦しけれ。思はずに思ひ聞ゆることありともおろかに人の見咎むばかりはあらじとこそ思ひ侍れ。たが聞えたるにかあらむ」とのたまふに、はぢらひて背き給へる御姿もいとらうたげなり。いたくおも瘦せて物思ひくし給へるいとゞあてにをかし。「いとをさなき御心ばへを見置き給ひていたくうしめたがり聞え給ふなりけりと思ひ合せ奉れば、今より後もよろづになむかうまでもいかで聞えじと思へど。うへの御心にそむくときこし召すらむこと安からずいぶせきを、こゝにだに聞え知らせでやはとてなむ。いたりすくなくたゞ人の聞えなすかたにのみよるべかめる御心には、唯おろかにあさきとのみおぼし、又今はこよなくさだすぎにたる有樣もあなづらはしくめなれてのみ見なし給ふらむも、方々に口惜しくもうれたくも覺ゆるを、院のおはしまさむ程は猶心をさめてかのおぼしおきてたるやうありけむさだすきびとをも同じ