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ありて、ひとかたなめればそれにことよりて、かひなげなる住まひし給ふ方々こそは多かめるを、御すくせありて若しさやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞ゆとも立ち並びておしたち給ふことは得あらじとこそは推し量らるれど、猶いかゞと憚らるゝ事ありてなむ覺ゆる。さるはこの世のさかえ末の世に過ぎて身に心もとなきことはなきを、女のすぢにてなむ人のもどきをもおひ我が心にも飽かぬこともあるとなむつねにうちうちのすさびごとにもおぼしのたまはするに、げにおのれらが見奉るにもさなむおはします。かたがたにつけて御かげに隱し給へる人皆その人ならず、立ち下れるきはには物し給はねど、限あるたゞ人どもにて院の御ありさまに並ぶべきおぼえ具したるやはおはすめる。それに同じくは實にさもおはしまさばいかにたぐひたる御あはひならむ」と語らふを、乳母又ことのついでに「然々なむなにがしの朝臣にほのめかし侍りしかば、かの院には必ずうけひき申させ給ひてむ、年比の御ほ意かなひておぼしぬべきことなるを、こなたの御ゆるし誠にありぬべくは傅へ聞えむとなむ申し侍りしを、いかなるべきことにかは侍らむ、ほどほどにつけてひとのきはきはおぼしわきまへつゝ、ありがたき御心ざまにものし給ふなれど、たゞ人だに又かゝづらひ思ふ人たちならびたることは人の飽かぬことにし侍るめるを、めざましきこともや侍らむ、御うしろみ望み給ふ人々は數多ものし給ふめり。よくおぼしめし定めてこそよく侍らめ。限なき人と聞ゆれど今の世のやうとては皆ほがらかにあるべかしく、世の中を御心とすぐし給ひつべきもおはしますべかめるを、姬宮はあさましく覺束なく心もとなくのみ見