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て見れどいづくのかはあらむ。「あないみじ。かの君もいと痛くおぢ憚りて氣色にても漏り聞かせ給ふことあらばとかしこまり聞え給ひしものを、ほどだに經ずかゝることの出でまうで來るよ、すべていはけなき御有樣にて人にも見えさせ給ひければ、年比さばかり忘れがたく怨みいひわたり給ひしかど、かくまで思う給へし御ことかは。たが御ためにもいとほしく侍るべきこと」とはゞかりもなく聞ゆ。心やすく若くおはすれば馴れ聞えたるなめり。いらへもし給はでたゞなきにのみぞ泣き給ふ。いとなやましげにて露ばかりの物も聞し召さねば、かく惱しくせさせ給ふを見おき奉り給ひて、今はをこたりはて給ひにたる御あつかひに心を入れ給へることゝ、つらく思ひいふ。おとゞはこの文の猶怪しくおぼさるれば人見ぬ方にて打ち返しつゝ見給ふ。さぶらふ人々の中にかの中納言の手に似たる手して書きたるかとまでおぼしよれど、言葉づかひきらきらとまがふべくもあらぬことゞもあり。年を經て思ひわたりけることのたまさかにほいかなひて心安からぬすぢを書き盡したることばいと見所ありて哀なれど、いとかくさやかにはかくべしや、あたら人の文をこそ思ひやりなく書きけれ、おちちることもこそと思ひしかば、昔かやうにこまかなるべきをりふしにも、ことそぎつゝこそ書きまぎらはしゝか、人の深き用意は難きわざなりけりと、かの人の心をさへ見おとしたまひつ。さてもこの人をばいかゞもてなし聞ゆべき、珍しきさまの御心地もかゝることのまぎれにてなりけり、いであな心うや、かく人づてならずうきことをしるしるありしながら見奉らむよと、我が御心ながらもえ思ひなほすまじく覺ゆるを、なほざりのすさび