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給ふ。よべのかはほりをおとしてこれは風ぬるくこそありけれとて御扇おき給ひて、きのふうたゝねし給へりしおましのあたりを立ちとまりて見給ふに、御しとねの少しまよひたるつまより淺綠の薄葉なる文の押し卷きたる端見ゆるを、何心もなく引き出でゝ御覽ずるに男の手なり。かみのかなどいとえんにことさらめきたる書きざまなり。ふたかさねにこまごまと書きたるを見給ふに、まぎるべき方なくその人の手なりけりと見給ひつ。御鏡など開けて參らする人は猶見給ふ文にこそはと、心も知らぬ小侍從見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく胸つぶつぶとなる心ちす。御かゆなどまゐる方に目も見やらず、いでさりともそれにはあらじ、いといみじくさる事はありなむや、かくし給ひてけむと思ひなす。宮は何心もなく、まだ大殿ごもれり。あないはけな、かゝるものをちらし給ひて我ならぬ人も見つけたらましかばとおぼすも心おとりして、さればよいとむげに心にくき所なき御有樣を後めたしとは見るかしとおぼす。出で給ひぬれば人々少しあがれぬるに、侍從よりて「昨日の物はいかにせさせ給ひてし。けさ院の御覽じつる文のいろこそ似て侍りつれ」と聞ゆれば、あさましとおぼして淚のたゞいできに出でくれば、いとほしきものからいふかひなの御さまやと見奉る。「いづくにかは置かせ給ひてし。人々の參りしに事あり顏に近くさぶらはじと、さばかりのいみをだに心の鬼にさり侍りしを、いらせ給ひしほどは少し程經侍りにしをかくさせ給ひつらむとなむ思う給へし」と聞ゆれば、「いさとよ、見し程に入り給ひしかばふともえおきあへで、さしはさみしを忘れにけり」とのたまふにいと聞えむかたなし。より