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 「消えとまるほどやはふべきたまさかに蓮の露のかゝるばかりを」との給ふ。

 「契りおかむこの世ならでもはちす葉に玉ゐる露のこゝろへだつな」。出で給ふかたざまは物うけれど、內にも院にも聞し召さむ所あり。惱み給ふと聞きても程經ぬるをめに近きに心を惑はしつるほど見奉ることもをさをさなかりつるに、かゝる雲間にさへやは、絕えこもらむとおぼし立ちてわたり給ひぬ。宮は御心のおにゝ見え奉らむもはづかしくつゝましくおぼすに、物など聞えたまふ御いらへも聞え給はねば、日ごろのつもりをさすがにさりげなくてつらしとおぼしけると心苦しければ、とかくこしらへ聞え給ふ。おとなびたる人召して御心ちのさまなど問ひ給ふ。「例のさまならぬ御心ちになむ」と煩ひ給ふ御ありさまを聞ゆ。「あやしくほどへて珍しき御事にも」とばかりのたまひて御心のうちには年比經ぬる人々だにも、さることなきを、ふぢやうなる御ことにもやとおぼせば、ことにともかくものたまひあへしらひ給はで唯打ち惱み給へるさまのいとらうたげなるをあはれと見奉り給ふ。辛うじておぼし立ちて渡り給ひしかばふともえ歸りたまはで、二三日おはするほど、いかにいかにと後めたくおぼさるれば、御文をのみ書き盡し給ふ。「いつの間につもる御言の葉にかあらむ。いでややすからぬ世をも見るかな」と若君の御あやまちを知らぬ人はいふ。侍從ぞかゝるにつけても胸うちさわぎける。かの人もかく渡り給へりと聞くに、おほけなく心あやまりしていみじき事どもを書き續けておこせ給へり。對にあからさまに渡り給へる程に、人まなりければ忍びて見せ奉る。「むつかしき物見するこそいと心うけれ。心地のいとゞ惡