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奉りけれど、宮はつきせずわりなき事におぼしたり。院をいみじくおぢ聞え給へる御心に、有樣も人のほども、ひとしくだにやはある。いたくよしめきなまめきたれば大方の人目にこそなべての人には優りてめでらるれ、幼くよりさるたぐひなき御有樣にならひ給へる御心にはめざましくのみ見給ふ程に、かく惱みわたり給ふは哀なる御すくせにぞありける。御めのと達見奉り咎めて「院のわたらせ給ふこともいとたまさかなるを」とつぶやき怨み奉る、かく惱み給ふと聞し召してぞわたり給ふ。女君はあつくむつかしとて、御ぐしすまして少しさはやかにもてなし給へり。臥しながらうちやり給へりしかばとみにもかはかねど、露ばかり打ちふくみまよふすぢもなくていと淸らにゆらゆらとしてあをみおとろへ給へるしも、色はさをにしろく美しげにすきたるやうに見ゆる御はだつきなど世になくらうたげなり。もぬけたる蟲のからなどのやうにまだいとたゞよはしげにおはす。年比すみ給はで少し荒れたりつる院のうちたとしへなくせばげにさへ見ゆ。昨日今日かくもの覺え給ふひまにて心ことにつくろはれたるやりみづせんざいのうちつけに心よげなるを見出し給ひても哀に今まで經にけるをおもほす。池はいと凉しげにてはちすの花の咲きわたれるに、葉はいと靑やかにて露きらきらと玉のやうに見えわたるを「かれ見給へ。おのれひとりも凉しげなるかな」とのたまふに、起きあがりて見出し給へるもいとめづらしければ「かくて見奉るこそ夢の心ちすれ。いみじく我が身さへかぎりと覺ゆる、をりをりのありしはや」と淚をうけてのたまへば、みづからも哀とおもほして、