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かれず御心もくれて渡り給ふ。道の程の心もとなきに、げにかの院はほとりのおほぢまで人たち騷ぎたり。殿の內泣きのゝしるけはひいとまがまがし。我にもあらで入り給へれば「日比はいさゝかひま見え給へるを、俄になむかくおはします」とて侍ふかぎりは我も後れ奉らじと惑ふさまどもかぎりなし。みずほふどもの壇こぼち僧などもさるべきかぎりこそまかでね、ほろほろと騷ぐを見給ふに、更に限にこそはとおぼしはつるあさましさに何事かはたぐひあらむ。「さりともものゝけのするにこそあらめ。いとひたぶるにな騷ぎそ」と靜め給ひて、いよいよいみじきぐわんどもを立てそへさせ給ふ。勝れたるけんざどものかぎり召し集めて、「限ある御命にてこの世つき給ひぬとも只今暫しのどめ給ひ不動尊の御もとのちかひあり、その日數をだにかけ留め奉り給へ」と、かしらよりまことに黑烟を立てゝいみじき心を起して加持し奉る。院も、只今一度目を見合せ給へ、いとあへなく限なりつらむ程をだに、え見ずなりにけることの悔しく悲しきをと、おぼし惑へるさま、とまり給ふべきにもあらぬを見奉る心ちども唯推しはかるべし。いみじき御心のうちを佛も見奉り給ふにや、月比更に現れ出てこぬ物のけちひさき童にうつりてよばひのゝしる程に、やうやう生きいで給ふにも嬉しくもゆゝしくもおぼし騷がる。いみじくてうぜられて「人は皆さりね。院一ところの御耳に聞えむ。おのれを月比てうじ侘びさせ給ふがなさけなくつらければ、同じくはおぼし知らせむと思ひつれど、さすがに命もたふまじく身を碎きておぼし惑ふを見奉れば、今こそかくいみじき身をうけたれ、いにしへの心の殘りてこそかくまでも參り來たるなれば、物