Page:Kokubun taikan 02.pdf/107

提供:Wikisource
このページは校正済みです

でたき方に改め給ふべきにやは侍らむ。これは世の常の御有樣にも侍らざめり。唯御うしろみなくて、たゞよはしくおはしまさむよりは、おやざまにと讓り聞え給ひしかばかたみにさこそ思ひかはし聞えさせ給ひためれ。あいなき御おとしめごとになむ」とはてはてははらだつを萬にいひこしらへて「誠はさばかり世になき御有樣を見奉りなれ給へる御心に、數にもあらず怪しきなれすがたを、打ち解けて御覽ぜられむとは更に思ひかけぬことなり。唯ひとことものごしにて聞え知らすばかりは、何ばかりの御身のやつれにかはあらむ。神佛にも思ふ事申すは罪あるわざかは」といみじきちかごとをしつゝの給へば、暫しこそいとあるまじきことにいひかへしけれ、物深からぬ若人は人のかく身にかへていみじく思ひの給ふを、えいひなびはてゞ「もしさりぬべき隙あらばたばかり侍らむ。院の坐しまさぬ夜は御帳のまはりに人多く侍らひて、おましのほとりにさるべき人必ずさぶらひ給へば、いかなる折をかはひまを見つけ侍るべからむ」と侘びつゝ參りぬ。いかにいかにと日々に責められこうじてさるべき折伺ひつけて、せうそこしおこせたり。悅びながらいみじくやつれ忍びておはしぬ。誠に我が心にもいとけしからぬことなれば、氣近くなかなか思ひ亂るゝこともまさるべきまでは思ひもよらず。唯いとほのかに御ぞのつまばかりを見奉りし春の夕の飽かず世と共に思ひ出でられ給ふ御有樣を少し氣近くて見奉り、思ふ事をも聞え知らせてはひとくだりの御返しなどもや見せ給ひ、哀とやおぼし知るとぞ思ひける。四月十餘日ばかりのことなり、みそぎあすとて齋院に奉り給ふ女房十二人、ことに上臈にはあらぬわかびとわらはべな