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ともとなむ思ふ」と聞え給へば、「の給ふやうに物はかなき身には過ぎにたるよその覺えはあらめど、心に絕えぬ物なげかしさのみうち添ふや、さはみづからのいのりなりける」とて殘り多げなるけはひはづかしげなり。「まめやかにはいとゆくさきすくなき心地するを、今年もかくしらず顏にてすぐすはいとうしろめたくこそ、さきざきも聞ゆることいかで御ゆるしあらば」と聞え給ふ。「それはしもあるまじきことになむ。さてかけ離れ給ひなむ世に殘りては何のかひかあらむ。唯かく何となくて過ぐる年月なれど、明暮のへだてなき嬉しさのみこそますことなく覺ゆれ。猶思ふさま殊なる心の程を見はて給へ」とのみ聞え給ふを例のことゝ心やましくて淚ぐみ給へる氣色をいと哀と見奉り給ひて、萬に聞えまぎらはし給ふ。「多くはあらねど、人の有樣のとりどりに口惜しくはあらぬを、見知りゆくまゝに誠の心ばせのおひらかにおちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ思ひはてにたる。大將の母君を幼かりし程に見そめて、やんごとなくさらぬすぢには思ひしを、常になかよからず隔ある心地して止みにしこそ、今思へばいとほしくくやしくもあれ。又我があやまちにのみもあらざりけりなど心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしくおもりかにてそのことの飽かぬかなと覺ゆることもなかりき。唯いとあまり亂れたる所なく、すくすくしく少しさかしとやいふべかりけむと思ふにはたのもしく見るには煩はしかりし人ざまになむ。中宮の御母御息所なむさまことに心深くなまめかしきためしにはまづ思ひ出でらるれど、人見えにくゝ苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞげにことわりと覺ゆるふしを、やがて長く思