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Page:Kokubun taikan 01.pdf/91

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を見給ふ。遙にかすみわたりて四方の梢そこはかとなうけぶりわたれるほど繪にいとよくも似たるかな。かゝる所に住む人、心に思ひ殘す事はあらじかし」との給へば、「これはいとあさく侍り。人の國などに侍る海山のありさまなどを御覽ぜさせて侍らば、いかに御繪いみじうまさらせ給はむ。富士の山なにがしの嶽」など語り聞ゆるものあり。また西の國のおもしろき浦々磯のうへをいひ續くるもありてよろづに紛らはし聞ゆ。「近き所には播磨の明石の浦こそ尙ことに侍れ。何のいたり深き隈はなけれど唯海のおもてを見渡したる程なむ怪しくこと所に似ずゆほびかなる所に侍る。かの國の前の守しぼちの娘かしづきたる家いといたしかし。大臣の後にて出でたちもすべかりける人の、世のひがものにて交らひもせず、近衞の中將を捨てゝ申し給はれりけるつかさなれど、かの國の人にも少しあなづられて、何のめいぼくにてか又都にも歸らむと言ひて頭もおろし侍りにけるを、少し奧まりたる山ずみもせでさる海づらに出で居たるひがひがしきやうなれど、げにかの國の內にさも人の籠り居ぬべき所々もありながら、深き里は人はなれ心すごく若きさいしの思ひ侘びぬべきにより、かつは心をやれるすまひになむ侍る。さいつころ罷り下りて侍りし序に有樣見たまへによりて侍りしかば、京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこら遙にいかめしう占めて造れるさま、さはいへど國の司にてし置きける事なれば、殘の齡ゆたかに經べき心がまへもになくしたりけり。後の世の勤もいとよくしてなかなか法師まさりしたる人になむ侍りける」と申せば、「さてその娘は」と問ひ給ふ。「けしうはあらずかたち心ばせなど侍るなり。代々の國の