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じき四五人ばかりしてまだ曉におはす。やゝ深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花盛は皆過ぎにけり。山の櫻はまだ盛にて入りもておはするまゝに霞のたゝずまひもをかしう見ゆれば、かゝる有樣もならひ給はず所せき御身にて珍しうおぼされけり。寺のさまもいとあはれなり。峯高く深き岩のなかにぞ聖入りゐたりける。登り給ひて誰とも知せ給はずいといたうやつれ給へれどしるき御さまなれば、「あなかしこや。一日召し侍りしにやおはしますらむ。今はこの世の事を思ひ給へねばげんがたの行ひも棄て忘れて侍るをいかでかかうおはしましつらむ」と驚きさわぎうちゑみつゝ見奉る。いと尊き大とこなりけり。さるべきもの作りてすかせ奉る。加持などまゐる程日高くさしあがりぬ。少し立ち出でつゝ見渡し給へば、高き所にてこゝかしこ僧坊どもあらはに見おろさる。「たゞこのつゞらをりのしもに、同じこ柴なれど麗しうし渡して淸げなる屋らうなど續けて、木立いとよしあるは何人の住むにか」と問ひ給へば、御供なる人「これなむなにがし僧都のこの二年籠り侍る坊に侍るなる」、「心恥かしき人住むなる所にこそあなれ。怪しうもあまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」などの給ふ。淸げなるわらはなどあまた出で來て閼伽奉り花折りなどするもあらはに見ゆ。「かしこに女こそありけれ。僧都はよもさやうにはすゑ給はじを、いかなる人ならむ」と口々いふ。「おりてのぞくもあり。をかしげなる女子ども若き人わらはべなむ見ゆる」といふ。君は行ひし給ひつゝ、日たくるまゝに、いかならむとおぼしたるを、「とかう紛らはさせ給ひておもほし入れぬなむよく侍る」と聞ゆればうしろの山に立ち出でゝ京の方