コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/87

提供:Wikisource
このページは校正済みです

とも罪許してむと思ふ御心おごりぞあいなかりける。少將のなきをりに見すれば、こゝろうしとおもへど、かくおぼし出でたるもさすがにて御かへり、口ときばかりをかごとにて取らす。

 「ほのめかす風につけても下荻のなかばゝ霜にむすぼゝれつゝ」。手はあしげなるをまぎらはしざればみて書いたるさましな無し。ほかげに見し顏おぼし出でらる。うちとけてむかひ居たる人はえ疎みはつまじきさまもしたりしかな。何の心ばせありげもなくさうどきほこりたりしよとおぼし出づるににくからず。猶こりずまに又もあだ名は立ちぬべき御心のすさびなめり。かの人の四十九日忍びて比叡の法華堂にて事そがずさう束より始めてさるべきものどもこまかにずきやうなどせさせ給ふ。經佛のかぎりまでおろかならず、惟光が兄の阿闍梨いと尊き人にてになうしけり。御文の師にてむつまじくおぼすもんざうはかせ召して願文作らせ給ふ。その人となくてあはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを、阿彌陀佛にゆづり奉るよし哀れげに書き出で給へれば、「唯かくながら加ふべきこと侍らざめり」と申す。忍びたまへど御淚もこぼれていみじくおぼしたれば、「何人ならむ。その人とは聞えもなくてかう覺し歎かすばかりなりけむ。すくせのたかさよ」といひけり。忍びててうぜさせ給へりけるさう束の袴を取り寄せ給ひて、

 「なくなくも今日は我がゆふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき」。このほどまではたゞよふなるをいづれの道に定まりて赴くらむとおもほしやりつゝねんずをいと哀れにし給