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Page:Kokubun taikan 01.pdf/88

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ふ。頭中將を見給ふにもあいなく胸騷ぎてかの瞿麥の生ひたつ有樣聞かせまほしけれど、かごとに懼ぢてうち出で給はず。かの夕顏のやどりにはいづかたにと思ひ惑へど、そのまゝにえ尋ね聞えず。右近だにおとづれねばあやしと思ひ歎きあへり。たしかならねど、けはひをさばかりにやとさゝめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけはなれけしきなくいひなして、猶同じごとすきありきければ、いとゞ夢の心地して、若しずりやうの子どものすきずきしきが頭の君に懼ぢ聞えてやがて率て下りけるにやとぞ思ひよりける。この家あるじぞ西の京のめのとのむすめなりける。三人その子はありて、右近はことびとなりければ、「思ひへだてゝ御有樣を聞かせぬなりけり」と泣き戀ひけり。右近はたかしがましく言い騷がれむを思ひて、君も今更に漏さじと忍び給へば、若君の上をだにえ聞かず、あさましくゆくへなくて過ぎ行く。君は夢にだに見ばやとおぼし渡るに、この法事し給ひて又の夜、ほのかにかのありし院ながら添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ、荒れたりし所に住みけむものゝ我にみいれけむたよりにかくなりぬる事と覺し出づるにもゆゝしくなむ。伊豫の介神無月のついたちごろに下る。女房の下らむにとて、たむけ心殊にせさせ給ふ。又うちうちにもわざとし給ひて、こまやかにをかしきさまなる櫛扇多くして、ぬさなどわざとがましくて、かの小袿もつかはす。

 「逢ふまでのかたみばかりと見し程にひたすら袖の朽ちにけるかな」。こまやかなる事どもあれど、うるさければ書かず。御使かへりにけれど小君してこうちきの御かへりばかりは