コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/86

提供:Wikisource
このページは校正済みです

みゝかしがましかりし砧の音をおぼし出づるさへ戀しくて「まさに長き夜」とうちずして臥し給へり。かの伊豫の家の小君參る折あれど殊にありしやうなる言傳もし給はねば、憂しと覺しはてにけるをいとほしと思ふに、かく煩ひ給ふを聞きてさすがにうち歎きけり。遠く下りなむとするをさすがに心ぼそければ、覺し忘れぬるかと試に、「うけ給はりなやむをことにいでゝはえこそ。

  問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ亂るゝ。益田はまことになむ」ときこえたり。めづらしきにこれもあはれ忘れ給はず。「生けるかひなきや、誰がいはましごとにか。

 「うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかゝる命よ。はかなしや」と御手もうちわなゝかるゝに亂れがき給へるいとうつくしげなり。猶かのもぬけを忘れ給はぬをいとほしうもをかしうも思ひけり。かやうに憎からずは聞え交せどけぢかくとは思ひよらず、さすがにいふがひなからずは見え奉りて止みなむと思ふなりけり。かの片つ方は藏人の少將をなむ通はすと聞き給ふ。あやしや、いかに思ふらむと少將の心の中もいとほしう、又かの人の氣色もゆかしければ、小君して「しにかへり思ふ心は知りたまへりや」といひつかはす。

 「ほのかにも軒端の荻をむすばずは露のかごとをなにゝかけまし」。高やかなる荻につけて「忍びて」との給へれど、取りあやまちて少將も見つけて我なりけりと思ひ合せば、さり