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かり。事にふれて數知らず苦しきことのみ增ればいと痛う思ひわびたるをいとゞ哀と御覽じて、後凉殿にもとよりさぶらひ給ふ更衣の曹子をほかに移させたまひて、うへ局にたまはす。その怨ましてやらむ方なし。このみこ三つになりたまふ年おほん袴着のこと一の宮の奉りしに劣らず、くらづかさをさめ殿の物を盡していみじうせさせ給ふ。それにつけても世のそしりのみ多かれど、このみこのおよすげもて坐する御かたち、心ばへありがたく珍しきまで見え給ふを得猜みあへたまはず。ものゝ心知りたまふ人は、かゝる人も世に出でおはするものなりけりと淺ましきまで目を驚かしたまふ。その年の夏みやすどころはかなき心地に煩ひて、まかでなむとしたまふを、暇更に許させたまはず。年ごろ常のあつしさになりたまへれば御目馴れて「猶暫し試みよ」とのみのたまはするに日々に重り給ひてたゞ五六日の程にいと弱うなれば母君なくなく奏してまかでさせ奉りたまふ。かゝる折にも、あるまじき耻もこそと心づかひして、みこをば留め奉りて忍びてぞ出で給ふ。限あれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覽じだに送らぬおぼつかなさをいふ方なく悲しと覺さる。いと匂ひやかに美くしげなる人の痛う面瘦せていと哀とものを思ひしみながらことに出でゝも聞えやらずあるかなきかに消え入りつゝものしたまふを御覽ずるに、きし方行く末おぼしめされず萬の事をなくなく契りのたまはすれど、おほんいらへもえ聞えたまはずまみなどもいとたゆげにていとゞなよなよと我かの氣色にて臥したれば、いかさまにかとおぼしめし惑はる。てぐるまの宣旨などのたまはせても又入らせ給ひては更にゆるさせたまはず、「限あらむ道に