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Page:Kokubun taikan 01.pdf/562

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たらば哀すぐすまじき御さまなり。うちにもほのかに御覽ぜし御かたち有樣を御心にかけたまひて、赤裳たれ引きいにしすがたをと、にくげなるふることなれど御ことくさになりてなむながめさせ給ひける。御文は忍びしのびにありけり。身を憂きものに思ひしみ給ひてかやうのすさびごとをもあいなくおぼしければ、心とけたる御いらへも聞え給はず、猶かのありがたかりし御心おきてをかたがたにつけて思ひしみ給へる御事ぞ忘られざりける。三月になりて、六條殿の御前の藤山吹のおもしろき夕ばへを見給ふにつけても、まづ見るかひありて居給へりし御さまのみおぼし出でらるれば、春のおまへをうちすてゝこなたに渡りて御覽ず。吳竹のませにわざとなう咲きかゝりたるにほひ、いと面白し。「色に衣を」などのたまひて、

 「思はずにゐでのなか道へだつともいはでぞこふる山吹の花。かほに見えつゝ」などのたまふも聞く人なし。かくさすがにもてはなれたる事はこの度ぞおぼしける。げにあやしき御心のすさびなりや。かりの子のいと多かなるを御覽じてかんじ橘などやうに紛らはしてわざとならず奉り給ふ。御文はあまり人もぞめだつるなどおぼしてすくよかにて、「覺束なき月日も重りぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨み聞ゆるも御心ひとつにのみはあるまじう聞き侍れば、ことなる序ならでは對面の難からむを口惜しく思ひ給ふる」など親めきかき給ひて、

 「おなじ巢にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらむ。などかさしもな