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ければ御文奉りたまふ。右近がもとに忍びて遣すもかつは思はむ事をおぼすに、何事もえつゞけ給はで唯思はせたる事どもぞありける。
「かきたれてのどけき頃の春雨にふるさと人をいかにしのぶや。つれづれにそへても恨めしう思ひ出でらるゝこと多う侍るをいかでか聞ゆべからむ」などあり。ひまに忍びて見せ奉ればうち泣きてわが心にも程經るまゝに思ひ出でられ給ふ御さまを、まほにこひしやいかで見奉らむなどはえの給はぬ親にてげにいかでかは對面もあらむと哀なり。時々むつかしかりし御氣色を心づきなう思ひ聞えしなどはこの人にもしらせ給はぬことなれば、心ひとつにおぼし續くれど右近はほのけしき見けり。いかなりける事ならむと今に心得難く思ひける。御かへり聞ゆるも耻しけれど、おぼつかなくやはとて書き給ふ。
「ながめする軒のしづくに袖ぬれてうたかた人を忍ばざらめや。ほどふるころは、げにことなるつれづれもまさり侍りけり。あなかしこ」とゐやゐやしく書きなし給へり。引きひろげて玉水のこぼるゝやうにおぼさるゝを、人も見ばうたてあるべしと、つれなくもてなし給へど胸にみつ心地して、かの昔のかんの君を朱雀院の后のせちに取りこめ給ひし折などおぼし出づれど、さしあたりたることなればにやこれは世づかずぞ哀なりける。すいたる人は心から安かるまじきわざなりけり。今は何につけてか心をも亂らまし、似げなき戀のつまなりやとさまし侘び給ひて、御琴かきならして懷かしう彈きならし給ひしつま音思ひ出でられ給ふ。あづまの調べをすがゞきて、「玉藻はなかりそ」と謠ひすさび給ふも戀しき人に見せ