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よくものし給ふ御方なればうち語らひてもありなむとおぼし置きつ。うへにも今ぞかのありし昔の世の物語聞え出で給うける。かく御心にこめ給ふことありけるをうらみ聞え給ふ。「わりなしや。世にある人のうへとてや問はずがたりは聞え出でむ。かゝるついでに隔てぬこそ人にはことに思ひ聞ゆれ」とていとあはれげにおぼし出でたり。「人のうへにてもあまた見しに、いと思はぬ中も女といふものゝ心深きをあまた見聞きしかば更にすきずきしき心はつかはじとなむ思ひしを、おのづからさるまじきをもあまた見しなかに、あはれとひたぶるにらうたきかたは又たぐひなくなむ思ひ出でらるゝ。世にあらましかば北の町にものする人のなみにはなどか見ざらまし。人の有樣とりどりになむありける。かどかどしうをかしきすぢなどは後れたりしかども、あてはかにらうたくもありしかな」などのたまふ。「さりとも明石の波にはたちならべ給はざらまし」とのたまふ。なお北のおとゞをばめざましと心おき給へり。姬君のいとうつくしげにて何心もなく聞き給ふがらうたければ又ことわりぞかしとおぼしかへさる。かくいふは九月のことなりけり。わたり給はむことすがすがしくもいかでかはあらむ。よろしきわらは若人などもとめさす。筑紫にてはくち惜しからぬ人々も京よりちりぼひ來たるなどをたよりにつけて呼び集めなどして侍はせしも、俄に惑ひ出で給ひしさわぎに、みなおくらかしてければまた人もなし。京はおのづから廣き所なればいちめなどやうのものいとよくもとめつゝゐてく。その人の御子などゝは知らせざりけり。右近が里の五條にまづ忍びて渡し奉りて人々えりとゝのへさうぞくとゝのへなどしてかみなづ